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ベルリン美術館の旅(下)──文化篇
古典芸術と近代文化に触れる
文、撮影/李俊明 訳/駒田英

近代ベルリンは波乱の歴史であった。百年に満たない間に、プロイセン王国の崩壊、二度の世界大戦、そして東西分裂。しかし一九八九年のベルリンの壁崩壊、ドイツ統一を経て、眠らない街は新たな生命の息吹を吹きかえした。

ベルリンの描写で名高いドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースは、一九七〇年代、東ドイツによって孤立していた西ベルリンで活動を始めた。ベルリンを愛する彼は、多くの都市はわずかな時間暮らすだけでも疲労を感じるが、ベルリンの街は住む人に力を与えるばかりか、街自体が驚くべき魔力を持つ、世界でも稀有な都市だと評する。

博物館島の再生
ドイツ統一後、統合された「博物館島」(Museuminsel)も関心を集めることとなった。Uバーンのフリードリヒシュトラッセ(Friedrichstrasse)駅、もしくは
トラムのハッケンシャー マルクト(HackescherMarket)駅を出ると、ベルリンを貫くシュプレー(Spree)川が描く美しい曲線を眺める事が出来る。

まず目に入ってくるのは、島沿いに建てられた三角形のクラシック建築、ボーデ博物館(BodeMuseum)である。歩みを進めると、次々と現れるクラシック建築群が博物館島の主役たちである。

博物館島を語るのならば、その歴史と軌跡を遡らなくてはならない。ベルリン大聖堂の隣にそびえるのが、一八二三年から一八三〇年にかけて建てられた旧博物館(AltesMuseum)、博物館島の初の博物館である。そして一八五九年に建てられた新博物館(NeuesMuseum)、一八七六年に対外開放の始まった旧国立美術館(AlteNationalgalerie)、さらに一九〇四年、一九三〇年に開放されたボーデ博物館とペルガモン博物館(PergamonMuseum)がある。文化の息吹満ち溢れる博物館島は、ベルリンに一時期、芸術の盛況をもたらした。
 
しかし第二次大戦下、博物館島はその七割が戦火の被害を受け、修復されないままにドイツは東西分裂した。その貴重なコレクションも分散されたままであったが、東西ドイツの統一により再び統合され、またかつての光を取り戻そうとしている。

プロイセン王国初の国立博物館
旧博物館は、ドイツを代表する建築家、カール・フリードリヒ・シンケルによって設計されたプロイセン王国初の国立博物館である。風格がありながらも
繊細さを感じる外観、内部には色濃くギリシャ古典様式の風格が漂う。

本来はベルリンの美術コレクション宝物庫であったが、一九〇四年からは古代美術の展示館となった。二次大戦の戦災の被害を受け、一九六六年にようやく再建が完成した。一九九九年に博物館島が世界遺産に登録され、一時的にエジプト博物館(ÄgyptischesMuseum)のコレクションが旧
博物館の二階に展示されているが、二〇〇九年新博物館の補修が完了したのち、こちらに移送される。

世紀の再建計画
旧博物館の後方にあるのが旧国立美術館である。戦後一九五〇年にようやく外部開放がはじまったが、東西ドイツ統一後、よりよい展示空間づくりのために一九九五年から六年もの長期にわたる大掛かりな修復工事が行われ、二〇〇一年末に再び開放された。

さらに、現在修復が行われており、開放が楽しみなのがペルガモン博物館の傍らに建つ新博物館である。旧博物館が開館まもなく使用に支障をきたしたため、新たな美術館が必要となり、フリードリッヒ・アウグスト・シュテューラー(FriedrichAugust Stüler)の手により建築され、一八五九年に開放が始まった。これが現在の新博物館である。プロイセン王国の最も価値のある博物館計画であり、また十九世紀の博物館計画としては理想といえるものであった。その後、第二次大戦の戦火を受け廃墟となっていたが、一九八五年になりようやく再建計画が始まり、イギリス人建築士デビット・チッパーフィールド(DavidChipperfield)によって再建されることとなった。二〇〇九年秋の落成後、エジプト博物館はコレクションもこちらに展示され、また古代歴史博物館のコレクションもこの新博物館に戻ることとなる。

光輝く西アジア文明の
コレクション

博物館島で最も輝かしいコレクションをもつ博物館といえば、一九三〇年に竣工したペルガモン博物館である。ギリシャ、ローマからアッシリア、シュメール、バビロンなどのヘレニズム美術品、そしてイスラム芸術を網羅し、その古代芸術のコレクションのすばらしさは世界に名を馳せてきた。特に、トルコのペルガモンで発掘された大祭壇「ゼウスの大祭壇」、バビロンの「イシュタル門」などの収蔵品は見逃せない。

幸福にも戦火を免れ、修復を経てこの貴重な文明遺跡は、広々とした博物館のなかで往年の光を取り戻している。なお、博物館島全体の整備、修復計画にあわせ、各博物館も修正がおこなわれており、常設展以外一部で展示内容に変動がある。

水に浮かぶ博物館
川から眺めると、まるで一隻の大船が浮かんでいるようにみえる、これが元の名を皇帝フリードリヒ博物館といい、一九五六年に館長となったヴィルヘルム・フォン・ボーデにちなみ、ボーデ美術館となった。

川べりの立地を生かすため、バロック建築の名手エルンスト・フォン・イーネ( E r n s tvon Ihne)は、川に挟まれた中洲の三角形に合わせ設計、内部には華麗なドームや中庭を配した。戦火により一度は廃墟と化したが、一九五〇年と一九九〇年代の二度の修復が行われた。二〇〇四年十月に
修復が完成した貨幣コレクション(Numismatic Collection)は、百周年記念で開放された。二〇〇六年十月に美術館全館の改修が完了し、彫刻や巨匠の名作が往時の輝きを取り戻している。

古典と大衆美学を共に楽しむ
博物館島、殿堂級の博物館群を鑑賞しても、まだもう少し鑑賞したいという方は、ポツダム広場の文化フォーラム(Kulturforum Potsdamer Platz)まで足を運んでみてはどうだろう。一九六〇年代、プロイセン文化遺産協会が、欧州各国の芸術品を、国家図書館脇のポツダム広場の文化フォーラムに展示しようと計画したのが始まりである。この計画こそ財務状況の悪化で断念せざるを得なかったが、一九七八年芸術工芸博物館から着工が開始、一九八〇年代に入ると芸術図書館、版画および絵画美術館等が完成した。

一九八七年、美術館は巨匠たちによる絵画館(Gemäldegalerie)を設計、ベルリン国立博物館(Staatliche Museen zu Berlin)に所蔵されていたコレクションを移送し、一九九八年から対外開放をはじめた。ここでは、古典芸術家の絵画はもちろんのこと、近現代のデザインなどにも触れる事ができる。古典芸術と流行文化をともにたのしめる、ベルリン芸術における重要スポットといえよう。

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