花咲き乱れる、美しきモネの庭パリ近郊のヴルノン(Vernon)には、印象派を代表する巨匠モネ(Claude Monet, 1840-1926)が住んでいた。「光の画家」とも呼ばれるモネは、特に庭園に愛情を注いだ。多くの印象派ファンのあこがれの地、「ジヴェルニーの庭園」はこうして生まれた。
日本文化の影響深く
モネのアートを理解しようと思ったら、彼が自らの家族の為に設計した「ジヴェルニーの庭園」を訪れなくてはならないだろう。彼は画家として名を馳せてから、亡くなるまでの約40年間をこの地で過ごした。ピンク色の可愛い建物に足を踏み入れると、室内には32枚もの浮世絵版画が飾られており、モネが日本文化の影響を受けていたことがうかがい知れる。モネは短期間ロンドンに滞在した1871年ころから日本の版画を収集はじめたという。
最も有名なのは花園であるが、花園は2ヶ所に分かれており、1ヶ所は家の目の前、緑あふれる「花の庭(Clos Normand)」だ。バラ、ツツジ、オオカナメモチ、ひまわりが咲き乱れ、ツタが覆っている。もう1ヶ所が、アートファンにとっては伝説の地ともいうべき「睡蓮池」である。現在は、住居と池の間に小路があるため、花の庭の地下のトンネルを抜けてようやく「睡蓮池」にたどりつく事ができる。
池のほとりで光の美を楽しむ
池に掛かる緑色の小橋は日本風のたたずまいを有している。ここにもモネが日本画の影響を受けた景色をみつけることができる。毎年7月、スイレンが咲き乱れるころ、池のほとりでは、モネが多くの作品の中で描いた光によって生み出される美しい景色を目にすることができる。
モネはこの花園に自らの芸術と山水の理想を表現し、植物をありのままに育てた。ここでは樹木、水の流れ、湿地、そして植物の自然な生態を鑑賞する事が出来る。モネが画家という目線から選んだ花の彩りは、季節ごとに表情を変える。その美しさは「ジヴェルニーの庭園」を訪れた人たちの記憶に深く刻まれる。
ロダンのアートの源泉に触れる
ミケランジェロ以降、最も重要な彫刻家といわれるオーギュスト・ロダン(Auguste Rodin, 1840-1917)。彼ゆかりの建築を紹介しよう。メトロ13番線のパリ・ヴァレンヌ(Varenne)駅で降り、病院の向かいの路地に18世紀初めに建てられたビロン将軍の邸宅「ビロン邸(Hôtel Biron)」がある。ロダンは晩年この邸宅をアトリエ兼自宅とし、後には6,600点にも及ぶ彼の作品とコレクションを展示するための美術館となった。
1908年、ロダンの秘書であり、自らも詩人であったライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke)がこの邸宅に魅せられ、ロダンに紹介したところ、ロダンもすっかり気に入りこの邸宅を住み家とした。1910年、フランス政府が買収を決めると、ロダンは全てのコレクションを国家に寄付することを申し出て、その代わりにこの地を美術館として利用してほしいと依頼した。そしてロダンが亡くなってから2年後の1919年、ロダン美術館として開館したのである。
静かな時が流れる巨匠の別荘
パリ市内のロダン美術館を満喫したら、列車に乗って郊外の町ムードンを目指そう。ここはロダンと妻が晩年を過ごした別荘(Villa des Brillants)がある。緑が豊かで、生命力のみなぎる地である。ここでは巨匠の当時の暮らしぶりを見る事ができるが、もっとも興味深いのは別荘後方にあるアトリエである。ここにはパリではなかなか目にすることのできない石膏像の作品がある。
ここを訪れる人の多くが芸術を愛する市民や芸術系大学の学生であるせいか、別荘は俗化されておらず、ひっそりと静寂に包まれている。館内に展示されている当時の写真には、創作にいそしむロダンの姿が写し出されている。午後の日差しを浴びた生命力あふれる石膏像、その力強く美しい姿を見ていると、作品の生まれた当時の様子が目に浮かんでくるかのようである。
ル・コルビュジエの現代デザイン
20世紀建築界の巨匠のひとり、ル・コルビュジエ(Le Corbusier, 1887-1965)は、スイスで生まれ主にフランス国内で活躍した。1930年にはフランスの公民となっている。50年以上に及び世界の第一線で活躍したコルビュジエの建築作品は世界各地に点在し、後世の建築家に計り知れない影響を与えている。安藤忠雄もその中の一人であり、多くの感動とインスピレーションをコルビュジエから受けたという。言いかえれば、安藤のような現代建築の巨匠にも、啓蒙を受けた師と呼ぶ存在がいたということであろう。
コルビュジエの理想は、モダニズム建築により都市に住む人々によりよい居住空間と生活水準を提供することにあった。ドミノシステムを考案し、鉄筋コンクリートを建材として利用する建築を提唱した。また「近代建築の五原則」を主張、大型、高層建築の設計によって、建築都市計画において、世界中に多大な影響を与えた。
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軽快感あふれる斬新な建築形式
現代の感覚から見れば、この別荘建築には特に新しさを感じないという人がいてもやむをえない。しかしこの「サヴォア邸」が竣工されたのは1929年であり、当時は間違いなく斬新な建築設計であった。コルビュジエは、鉄筋コンクリートの柱により、居住空間を持ち上げるいわゆるピロティ形式を初めて採用した。軽快感あふれる住宅の可能性がはじめて具体的に表現されたのである。
また、屋上庭園も特徴のひとつである。ヨーロッパの伝統的な傾斜屋根は、構造上の伝統に加え、排水と積雪防止の面でも便利であるが、コルビュジエは敢えて平面屋根を採用し、新たな建築形式を創造したのである。
かつての建築では、外壁と内壁には荷重を支える役目があった。つまり「壁」は建物の設計上、制限の一つとなっていたわけである。しかし鉄筋コンクリート柱により、現在の建築家は自由に内部空間を運用できるようになった。また、コルビュジエは大きなガラス窓を設け、日光と外気が自由に室内に流れ込むようにした。また、水平連続窓も「サヴォア邸」の特色の一つである。
様々な建築理論が凝縮されている 「サヴォア邸」の建築だが、見る者に与える印象は至ってシンプルで美しい。コルビュジエは、白い立方体の造形の建物の中に、幾何学的な模様、円弧、スロープなどを組み込み、奥行感を与えている。
新たな科学技術と交通機関に魅せられていたというコルビュジエだが、面白い事に設計にもその趣向が表れている。2階から3階への階段の欄干のフォルムや、屋上庭園からのぞく白い煙突は、まるで客船の姿を思い起こさせる。
1階部分の車道の設計も非常に特徴がある。当時、自動車が伝統的な馬車に取って代わろうとしていたことから、自動車のカーブ角度をもとに曲線の設計を行ったという。なおこの角度は、当時流行していたシトロエンの小型車を参考にしたものだという
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