フィンランドはロシアに近く、首都ヘルシンキから列車か飛行機に乗れば、ほどなくしてロシア第二の都市サンクトペテルブルグに到着する。緯度は西シベリアとほぼ同じで、まさに北国という雰囲気である。国土面積はドイツよりわずかに小さいが、人口はドイツの8200万人強に対しわずかに500万人であり、この国の人口密度の低さを物語っている。
多くの人々はフィンランド人もヴァイキングの後裔と勘違いしているが、実はフィンランドの文化、種族、国民性は、他の北欧国家(ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、アイスランド)と大きく異なる。使用言語であるフィンランド語も、スカンジナビア語系の言語とは大きく異なり、むしろハンガリー語に近い。
国土の大半を森に覆われた国
「湖の国」と呼ばれるフィンランド。国土にはなんと約18万の湖があり、この数は人口で割ると、フィンランド人26人に1つの湖。この事からもわかるように、フィンランド人にとって湖や河川は非常に身近なものである。これは大都市に住む住民も同様である。
また、フィンランドは国土の3分の2以上を森林が占め、マツ、スギ、カバなどの樹木が至る所に生い茂る。その森林面積は人口一人当たりで他の欧州諸国の10倍にも達する。そのため、フィンランドの文化や伝統は木材から興ったといっても過言ではない。木材で住宅や別荘、小舟、サウナ小屋などを作るだけでなく、夏になれば森林浴をしながら野イチゴをつみ、湖で泳ぐのだ。大自然を満喫する豊かな暮らしぶりである。
歴史感より生活感があふれる街並
私の旅はヘルシンキから始まった。空港から市内へ向かう際の印象は、豊かな小都市というもので、他の欧州諸国の都市で感じる重厚な歴史や文化の重みといったものは感じなかった。そこにあるのは適度な生活感と緑あふれる生活環境であった。また、ヘルシンキはとても散策しやすい街でもあった。市内にはトラムが網の目のように走っており、このトラムと徒歩で行きたいところにはどこにでも行ける。
フィンランドの歴史を理解しようと、ロシア統治時代の趣を色濃く残す純白のヘルシンキ大聖堂と元老院広場を訪れた。フィンランドの歴史は複雑である。12世紀から1809年まではスウェーデンの領土であり、トーロ湾に面するヘルシンキは1550年にグスタフ・ヴァーサ国王が建立した都市である。その後、ロシア人がスウェーデンを駆逐し、この土地を占領した。19世紀に入るとロシア皇帝アレクサンドル1世が、ロシア正教教会など多くの建築物を元老院広場周辺に建立した。なお元老院広場にそびえる銅像は、アレクサンドル2世である。
海辺を歩くと、今もなおロシア音楽や料理を楽しめるレストランを多く見かける。ロシア統治下であった1809年から1917年の約百年間に渡り、フィンランド人はロシアのさまざまな文化の影響を受けたが、その影響の深さは今なお飲食面からうかがい知れる。興味深いのはロシア革命後、ソビエト連邦がその強権政治により困難な時代を迎えたのに対し、自由を手にしたフィンランドには物資が溢れ、栄華を極めた時代のロシア料理の神髄が残されることになった点であろう。
夢のようなフィンランドの列車
ヘルシンキの滞在も数日が過ぎ、列車に乗って他の都市を観光することに決めた。ウェブ上で列車の時刻を調べた際に、ユニークなサービスの数々を目にしてすっかり驚かされた。というのは、フィンランドの列車の等級は、一等車、二等車、食堂車に加え、キッズルーム、アレルギー患者向け車両、ペット用車両まで細分化されていたのである。
列車が発車するとまもなく車掌が来て検札を済ませたので、ユニークな車両を見て回ることにした。まずはペットとの旅行を楽しめるペット用車両である。案の定、1匹の毛の長い大きな犬が満足そうに主人の傍らで横になっていた。そして2階建て車両の上層階には、透明のドアで遮られたコンパートメントが向き合っていたが、これは気管支などのアレルギーを持つ患者のための空間である。ここには消毒と空気清浄機も置かれていた。
テディーベアのマークを見つけ、隣の車両に進むと、上層階から子供たちの楽しげな声が聞こえてきた。フィンランド人はこうして国会の未来の主人公たちに気前よく車両の上層階を与えているのである。このキッズルームには安全柵が取り付けられ、落下しないように注意が払われている。私は柔らかな安全マットの上に腰かけ、子供たちとあかんべえをして遊んだ。
キッズルーム内には本棚もあり、親子で本を閲覧することも可能なほか、小型の滑り台等の遊具もある。ほかの乗客に気兼ねなく遊ぶことができるのが嬉しい。長距離列車のみならず、私の乗った中短距離の列車においても、さまざまな異なるニーズをもつ旅客に対し、人情味溢れるサービスが提供されていることを目にし、深く感心させられた。
ひょんなことからお宅におじゃま
ガラス工芸で名高いリーヒマキ(Riihimaki)の街を散策しようと下車したものの、この駅から目的のガラス博物館までは少し距離があった。そこで辺りを見渡し、近くの1人のご婦人に行き方を伺うと、なんとご婦人が博物館まで私を連れて行ってくれるという。
パイヴィさんという名のこの親切なご婦人は、当地の料理学校の先生であった。3人の子供はすでに独立し、現在はこの街で一人暮らしをされており、教鞭をとる傍ら、大学院でマネージメントを学んでいるという。
パイヴィ婦人のご自宅の傍らにはこんもりとした林があり、道端には様々な色の野生の果物が生っていた。彼女に勧められ口に含むと甘酸っぱい味が広がった。結局、ご自宅にお邪魔する事になった私は、パイヴィ婦人について部屋に入ったが、目の前に飛び込んできたのは美しい厨房と整然と並べられた調理器具であった。パイヴィ婦人はさっと豆のスープに火をかけると、窓際の席に座るように言い、豆スープのほか、手作りのジャムやフルーツジュース、ハダカムギのパンを振る舞ってくれた。
サウナは生活の一部
パイヴィ婦人のお手製の美食を味わいながら、この家のこと、そしてお孫さんの話を伺った。初対面の私に自らの生活ぶりを語る彼女は、シャイで無口というフィンランド人のイメージとは大きく異なっていた。パイヴィ婦人は「またフィンランドに遊びに来たら、必ず我が家のサウナにお入りなさいね」と話してくれた。
フィンランド人のサウナに対するこだわりは、さしずめ日本人の温泉に対するこだわりのように感じられる。そもそも“Sauna”というこの言葉自体、フィンランド語が由来ということである。その歴史は西暦500年まで遡り、フィンランド人の日常生活にとって欠かせないものとなっており、この地でサウナのない家を探すのは困難とのことである。サウナがない家に住めと言われることは、手足をもぎ取られてしまうのと同じだと語るフィンランド人もいるくらいだ。
パイヴィ婦人は私を家の中の隅々まで案内してくれた。そして私はいかにこの家がこだわりをもって建造されたかを知ることになる。フィンランドの織物、ガラス工芸などがこの家の魅力をさらに引き立たせている。決して豪華ではないものの、清潔感、温かみがあり、また生活の品質に対するこだわりとセンスを感じさせてくれた。
婦人とお別れし、本来の目的であったガラス博物館へ向かう道中、パイヴィ婦人の楽しげな暮らしぶりを再び思い返し、うらやましさを禁じ得なかった。そして彼女から楽しく生きるヒントを学んだように感じた。このことは今回旅に出て初めて知り得たフィンランド人の新たな一面であり、大きな驚きであった。 |